合祀イヤです訴訟上告棄却に抗議する |
最高裁判所第二小法廷 古田佑紀 殿 竹内行夫 殿 須藤正彦 殿 千葉勝美 殿 2011年11月30日、最高裁は、「靖国合祀イヤです訴訟」上告審において、靖国合祀取り消しを求める遺族らの訴えを、大阪地裁、大阪高裁につづいて、またしても踏みにじった。 高裁判決は、靖国合祀に国が積極的に関わった、あるいは、むしろ国が合祀者を決定し、合祀を積極的に進めたという事実に対して、これを「合祀という宗教行為そのものを援助、助長」(判決文)するものだとして、憲法に定めた政教分離原則に違反する行為であると明白に認めた。本訴訟の原告(控訴人)ら8名の親族のみならず、200万人以上のほとんどの靖国合祀者が戦後の日本国憲法下での合祀であったことから考えると、靖国神社は、戦前から軍国主義の支柱としての侵略神社であっただけでなく、戦後の日本憲法下では違憲神社であることが認定されたのである。この事実はけっして消すことができない。 しかし、高裁判決は、本訴訟の原告ら8名の合祀取り消しを求める権利自体を否定している。国と靖国神社は、戦没者を追悼するのではなく、ほめたたえ、戦没者を見習って後につづくものを導くという殉国精神普及活動を戦後も一貫して行なってきた。靖国神社自身は、それが靖国神社の教義なのだとも述べている。原告ら8名は、敬愛する身近な親族を戦争で奪われたのみならず、こともあろうに、その死を殉国の行為として評価され、靖国神社の布教の道具として利用されることに耐えがたい屈辱を感じている。 そもそも、高裁判決は、このような耐え難い原告の被害を直視せず、靖国神社の活動を無制限に許容するという、訴訟の一方の側だけを極度に優遇した不公正な判決であった。最高裁は、このような不備な判決を十分に調べることなく、それを追認してしまっている。このような不公正をけっして許さず、人権と平和の最後の砦となることが最高裁に求められている。 元来、靖国神社の戦没者合祀は、人権と平和を踏みにじる壮大な「国策」であった。裁判所は、「国策」となると、論理も何もなくひれ伏してしまう体質を持っているとしか考えようがない。 最高裁のこのような態度は、人権と平和のとりでとしての果たすべき責任を放棄したとしかいえない。この無責任は、歴史それ自体によって厳しく問われることであろう。 私たちは、最高裁の上告棄却決定に対し、大きな怒りを持って抗議すると同時に、原告やそれを支えてくださった多くの人びとともに、なお闘いつづけ、新たな歴史を切り開いていくことを宣言する。 2011年12月28日 |
靖国合祀イヤです訴訟団 |